郷土資料について

今治の鳥瞰図

今治の鳥瞰図 (『産業之今治市』1934年より)

郷土資料とは、今治市と越智郡上島町までの地域を中心とした、郷土愛媛に関する資料のことです。また、今治市と関係の深い地域の資料も範囲に含まれます。
郷土資料はその地域でしか集めることができないものです。地域の人々が、今治のことを知り、研究するための手掛かりとして必要な資料であり、将来の利用者のためにも今、収集・保存する必要があります。

郷土資料コーナーにある資料

郷土について書かれた資料
  • 郷土に関連する歴史や地理、民俗・風習、文化伝統などについて書かれた資料
  • 郷土の政治・経済・地場産業などについて書かれた資料
  • 郷土が扱われた文学作品
  • その他郷土に関わることが書かれた資料
郷土出身者・在住者の著作物
  • 伝記や自分史、家系など
  • 写真集など美術の作品集など
  • 歌集・句集・詩・文集などの文芸誌
郷土で発行された資料
  • 自治体や国の機関などが発行した行政資料(刊行物)
  • 郷土のグループや機関が作成した調査研究資料や同人誌など
  • 郷土の企業の社史など
  • その他、郷土の出版社の発行資料、雑誌など
資料の形態

図書,雑誌,新聞,地図,写真,絵葉書,パンフレット,古文書、AV資料など多岐にわたります。

郷土資料の利用

郷土資料は、館内(レファレンスコーナー)でご利用ください。
出来るだけ貸出可能にするために、副本を揃え、貸出しできるよう努めておりますが、館内閲覧のみの資料は、館内でご利用いただくか、必要な箇所を複写(コピー)してご利用ください。

郷土に関する調べものは

レファレンスサービスとして、調べもののお手伝いをしています。お気軽に職員にお尋ねください。カウンターでも随時受け付けしておりますが、お電話やお手紙・メールでも受け付けしております。今治市以外の方もご利用ください。

郷土資料 寄贈のお願い

これまでに多くの皆様にご協力を得て、資料を収蔵できております。感謝申し上げます。より多くの皆様に情報を提供するため、また保存のために、これからも収集に努めてまいります。
しかし、郷土資料は一般に流通していない資料が多い上、発行の状況が把握しにくく、そのうえ時間の経過により、入手困難な資料も多数あると思われます。また、先の戦災で今治市立図書館も被害にあい、貴重な資料が失われました。
今治市立図書館では郷土資料の収集に努めてまいりますが、皆様にも趣旨をご理解いただき、図書館へ寄贈していただける資料がございましたら、是非ご協力くださいますようお願いいたします。
発行した郷土資料は、可能な範囲で3部(閲覧用、保存用、貸出用)寄贈していただければ幸いです。
また、郷土資料に関する情報(お知り合いの方や郷土出身者の刊行物など)などをご存知の方は、支障のない範囲でお知らせくだいますようお願いいたします。
地域文化の保存のため、また皆様への多様な情報提供のためにご協力をお願いいたします。

例:地域誌、会社などの社史、団体記念誌、地域の新聞(愛媛新聞以外)・雑誌、個人史・伝記、同人誌、今治に関する論文、地図、写真、絵葉書、郷土出身の刊行物 など

郷土資料について
郷土資料について

デジタル事業について

今治市教育委員会発行の絵はがき『今治の文化財』をインターネット上で閲覧できるようになりました。今治市立図書館トップページの電子サービスからご覧ください。

旧今治市町村誌

今治市・越智郡の主な市町村誌の紹介をします。

今治市
今治市誌 今治市 1943年
新今治市誌 今治市 1974年
今治郷土資料 全10巻
考古 資料編 原始
今治市 1988年
村上家・来島家文書・大山祗神社・国分寺文書・能寂寺・仙遊寺文書 資料編 古代・中世
今治市 1989年
今治拾遺 資料編 近世 1
今治市 1987年
国府叢書 資料編 近世 2
今治市 1989年
波止浜町方覚日記 大浜村柳原家文書 資料編 近世 3
今治市 1988年
政治経済と教育 資料編 近・現代 1
今治市 1990年
今治の文学 資料編 近・現代 2
今治市 1989年
今治地誌集 資料編 近・現代 3
今治市 1987年
現代の今治 近・現代 4
今治市 1990年
写真が語る今治 写真集 近・現代 5
今治市 1989年
越智郡(陸地部)
朝倉村誌 上 朝倉村誌編さん委員会 1986年
朝倉村誌 下 朝倉村誌編さん委員会 1986年
朝倉村誌 続編 朝倉村誌編さん委員会 2004年
玉川町誌 玉川町 1984年
なみかた誌 波方町誌編纂委員会 1968年
ふるさとなみかた ふるさと波方編集委員会 1977年
波方町百年 波方町 1990年
波方町百十五年の歩み 波方町 2005 年
大西町誌 大西町教育委員会 1977年
菊間町誌 菊間町 1979年
菊間町誌 続編 愛媛県越智郡菊間町 2004年
越智郡(島しょ部)
吉海町史 吉海町役場 1971年
吉海町誌 吉海町 2001年
宮窪町誌 宮窪町 1994年
伯方町誌 伯方町誌編纂会 1988年
伯方町誌 続編 伯方町誌編纂会 2004年
愛媛県上浦町誌 上浦町 1974年
大三島町誌 一般 大三島町 1988年
大三島町誌 大山祇神社編 大三島町 1988年
大三島町誌 続編 大三島町 2004年
関前村誌 関前村役場教育委員会 1997年
岩城村誌 上 古代・中近世編 岩城村 1986年
岩城村誌 下 現代編 岩城村 1986年
生名村誌 生名村 2004年
弓削町誌 弓削町役場 1986年
弓削町誌 補遺 弓削町役場 2004年
魚島村誌 魚島村のあゆみ 越智郡魚島村 1996年
魚島村誌 近世史編 [魚島村] 1993年
魚島村誌 自然・歴史編 越智郡魚島村 1994年
魚島村誌 民俗・民話編 越智郡魚島村 1996年
魚島村誌 資料編 越智郡魚島村 1993年
『愛媛面影』
『愛媛面影』五巻
今治藩医の半井梧庵が慶応三年に発刊した愛媛県では最初の地誌書。
『今治夜話』
『今治夜話』五巻
藩士戸塚政興の著。初代藩主定房以来の藩主・藩士の逸話集といった性格の書。このほか、服部正弘著の『続今治夜話』もある。

立川文庫について

「立川文庫」は、明治から大正にかけ、大阪の立川文明堂から約二〇〇点出版された小型の少年向き講談本である。
本来、「立川」は<タツカワ>と読むらしいが、一般には〈タチカワ〉の通称で普及している。
体裁はタテ12.5cm、ヨコ9cmで、表紙には布クロースを用い、赤・青・黄・緑・黒・藍・紫の七色を編に応じて使い、右半分には揚羽蝶の地模様を空押ししている。本文は二三〇~三〇〇ページで、総ルビ(ふりがな)がふられていた。
定価は一部二五銭(のちに三〇銭)であるが、旧編に三銭をつけると新編と交換する新方式の販売方法、または貸本屋でも取り扱われ、文庫は関西を中心に九州、関東地方まで広く普及した。
読者層は当初発行側が特に最初に意図したわけではないようだが、少年に多かった。特に、最初に飛びついて読んだのは大阪の少年店員(丁稚)たちであったという。それが小学生、中学生へと広がり、大正期に少年時代を過ごした大多数の人たちの共通する経験となったのだ。
立川文庫とは、大正期の少年読み物を代表する作品である。特に、第四〇編として発行された「猿飛佐助」は、全国に大正期の忍者ブームを巻き起こした。「猿飛佐助」だけでなく、立川文庫に登場、そこで流布された英雄、豪傑、忍術名人たちはさまざまな形で受け継がれ、今もなお、その姿は生きている。
マスコミ時代の大衆文学のいち源流として息づいているのだ。

出典・参考文献:
「立川文庫の英雄たち」足立巻一著文和書房 1980年
「解説立川文庫」尾崎秀樹著講談社 1974年
「猿飛佐助を創った人々」今治地方文化交流会編集・出版 1996年

立川文庫一覧はこちら(PDF)

立川文庫第40編 猿飛佐助

雪花散人:著 立川文明堂 大正2年発行

大正時代に多くの子供たちを魅了し、「猿飛佐助」を忍者のヒーローとして世に出し、有名にしたのがこの立川文庫第40 編「真田十勇士 忍術名人 猿飛佐助」である。当時、百万部を超えるベストセラーだったという。忍者に妙術で変幻自在の活躍をさせて、子供たちのスーパーヒーローとなった。
ぶっくん忍者筆者は山田阿鉄(おてつ)(ペンネーム:山田酔神)。ただし、立川文庫は一族で創作するという世にも稀な作品で、集団での執筆名を「雪花散人」「野花山人」などとしていた。
講釈師の玉田玉秀斎とお敬の死により、また作風のマンネリ化もともない、立川文庫は終焉をむかえることになるが、「猿飛佐助」はその後、織田作之助や柴田錬三郎の「猿飛佐助」や林芙美子の「絵本猿飛佐助」など、多くの作家に取り上げられ、まさに忍者のごとく独自の「猿飛佐助」に生まれ変わっていった。小説、映画や演劇、アニメまで広く大衆文化の源流になったことはまちがいない。

松本清張 『随筆黒い手帳』より
大人の小説の面白さをはじめて教えてくれたのは「立川文庫」である。これは教科書の下にかくして併読した。今日、僕が近眼になったのは親父のその発見されるのを恐れて、暗いところで、小さな文字を凝視したおかげである。(略)いま、小さな子供たちが貪欲に読んでいるスーパーマン式の本をのぞいてみても、あの粗悪な暗い紙にかすれた活字を押し付けた立川文庫の面白さには及ばない気がする。僕らは、立川文庫によって、教科書よりも切実に、そして身近に歴史を学んだ気がする。

発行当時の「猿飛佐助」平成21年に古書店より購入
発行当時の「猿飛佐助」平成21年に古書店より購入
山田阿鉄氏(1875年―1942年)
山田阿鉄氏(1875年―1942年)

猿飛佐助Photo gallery

観音寺(山田家菩提寺)にある猿飛佐助蔵
観音寺(山田家菩提寺)にある猿飛佐助蔵
籔内佐斗司 作 平成16年11月
20才の佐助をイメージした高さ60㎝の佐助の像。右手に手裏剣、左手に巻物を持っている。(住所:今治市山方町)
今治駅前にある猿飛佐助蔵
今治駅前にある猿飛佐助蔵
今治ライオンズクラブ 2001年9月
雲の上で右手右足を上げ、今にも忍術を使う瞬間のようだ。
石鎚スカイラインにある猿飛橋
石鎚スカイラインにある猿飛橋
お喋りしていると見逃します。金砂湖あたりにも「猿飛橋」があるらしい。佐助を探しに行ってみては?
石鎚スカイラインにある猿飛橋
左写真のアップ
面河にある「猿飛佐助発祥の記念碑」
面河にある「猿飛佐助発祥の記念碑」
ここから150m上流に「猿飛谷」があり上流に「猿飛橋」が架かっていたらしい。
ぶっくん忍者

女紋の解説

池田蘭子:著 河出書房新社 昭和35(1960)年発行

 長らく不明であった「立川文庫」誕生から終焉当時の様子を、その一員としてつぶさに見てきた著者、池田蘭子が語る山田一族・女性三代のものがたり。
 片原町で廻船問屋を営む「日吉屋」。奥方「山田敬」は突然、講釈師玉田玉秀斎と大阪へ失踪。残された子供たちを呼び寄せ、家族で書き講談(創作講談)の出版に手を染めていく。池田蘭子は、『女紋』のなかで、「猿飛佐助」で有名なシリーズを「立川文庫」と名付けた経緯やベストセラーとなった事実談を小説化し、「立川文庫」成立のベールをはがした。
揚羽蝶の紋は、山田家の女性が略式に用いる女紋であり、女紋は「立川文庫」の表紙に用いられ、また「立川文庫」誕生の小説の題名にもなった。出版当時、TVドラマ化、また東宝現代劇として上演された。近年、今治でも市民による舞台が上演され、好評を博した。

『女紋』の最後を飾った名文
生きている間は、二度と帰るまいと覚悟していた今治だったろう。だが、死んでみると、お敬には、やはり今治以外に帰ってゆくところはなかった。(略)「かかさん、やっぱり今治に帰りまひょう。」伊知は、お敬の小さな骨壺を揚げ羽蝶の紋を染め抜いた風呂敷につつんで立ち上がった。揚げ羽蝶は日吉屋山田一家の女紋であった。

池田蘭子さん(1893年―1976年)
池田蘭子さん(1893年―1976年)
揚羽蝶の紋
揚羽蝶の紋